あずきの歴史をたどると、紀元前1世紀、中国最古の農業書である「氾勝之書(はんしょうししょ)」に、すでに栽培方法が記載されています。日本では、「古事記」や「日本書紀」にあずきが五穀として登場し、縄文遺跡からも発見されています。
日本のあずきは中国からの渡来と信じられてきました。しかし、ごく最近のDNAを調べた研究では、中国のあずきとは遺伝的に別系統で進化したようだと報告されています。
江戸時代、赤色の「あ」と早く軟らかくなる意味の「つき」「ずき」で「あずき」と呼ばれた説。また「あず」「あづ」は崩れやすい所を指し、煮崩れしやすいことから「あずき」となった説などがあります。大豆より小さい豆なので漢字では小豆(しょうず)と書き、あずきと読むようになりました。
北海道などでは、現在でも「しょうず」と呼ぶ場合があります。
中国最古の薬物書「神農本草経(しんのうほんぞうきょう)」には、あずきの煮汁が解毒剤として使われたと記載されており、日本でも古来よりあずきは薬として用いられていました。
ー方であずきの赤い色が、太陽や火、血といった「生命」を象徴すると考えられ、呪術的(じゅじゅつてき)な力を持った特別な食材として使われるようになりました。
渡辺篤二監修「豆の事典」(幸書房)、2004 より
前田和美「豆」(法政大学出版局)、2015 より